列島改造流動性相場
1971-11-05 – 1973-01-22
スミソニアン協定によって国際通貨体制への不透明感が後退すると、日本では空前の金融緩和が進みました。企業業績や景気回復を上回る勢いで余剰資金が株式市場へ流入し、日本株は戦後初めて「流動性」が相場を支配する局面へ入りました。
「日本中に金が余っているぞ」『兜町物語』 清水一行
1971年12月のスミソニアン協定により、ドル・円相場は1ドル308円へ切り上げられました。
市場を覆っていた為替制度への不安は徐々に後退し、日本銀行の金融緩和によって膨らんだ資金は、行き場を求めて株式市場へ流れ込みます。
企業業績が十分に回復していない中でも株価は上昇を続け、日本株市場は戦後初めて「流動性」が相場を支配する局面へ入りました。
フェーズ概要
- Regime:国際経済転換期
- Phase:列島改造流動性相場
- 期間:1971-11-05 – 1973-01-22
- 相場形状:急騰
相場推移と主要イベント
本フェーズにおける日経平均株価の推移と主要イベント。チャート上のアノテーションから当時の市場環境や重要な出来事を確認できます。
この期間の出来事
なぜ「列島改造流動性相場」なのか
この相場を支えた最大の要因は企業業績ではありませんでした。
金融緩和によって市場へ供給された大量の資金が、株式市場へ流入したことです。
銀行は貸出先を探すほど資金が余り、企業や銀行、商社は持ち合いを進め、法人による株式保有が急増しました。
市場に流通する株式は減少し、限られた株式へ資金が集中した結果、株価は急速に上昇しました。
市場構造
超金融緩和
日本銀行による大幅な金融緩和で市場には大量の資金が供給されました。
法人買い・持ち合い
銀行・商社・企業による株式持ち合いが進み、浮動株は急速に減少しました。
外国人投資家
円高期待を背景に海外資金も流入し、日本株への需要を押し上げました。
田中角栄内閣
列島改造論への期待が公共投資関連株を押し上げ、相場全体をさらに活性化させました。
このフェーズの意味
列島改造流動性相場は、日本株市場が企業業績だけでは説明できないことを市場参加者へ示した最初の相場でした。
景気は必ずしも強くない一方で、金融緩和と余剰資金によって株価は歴史的な上昇を続けます。
その後の平成バブル、アベノミクス相場、コロナ後相場などにも共通する「流動性が株価を押し上げる構造」は、この時代に原型が形成されました。
フェーズ転換
急速な金融緩和による株高は、やがて世界的なインフレ圧力を高めます。
1973年に入ると資源価格の高騰とインフレ懸念が現実となり、日本株市場は次のレジームへ移行します。
列島改造流動性相場 → 第一次資源インフレ相場崩壊
相場史データベースにおける位置づけ
相場史データベースでは、このフェーズを日本株史上初めて「流動性」が相場の主役となった局面として位置付けています。
市場を支配したのは景気ではなく、金融緩和によって生まれた余剰資金でした。
この構造は後のバブル相場や金融緩和相場へ繰り返し現れる、日本株市場の重要なレジームの原型となりました。
参考文献
本記事は編集プロセスの一部に生成AIを活用しています。 記事内容は生成結果をそのまま掲載するものではなく、編集者による確認・調査・加筆修正を経て公開しています。
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