Market History DB / Market Phase
平成バブル拡大相場
1986-01-30 – 1988-01-05
都市が金融商品になった
金融緩和によって生まれた資金が、 土地、信用、都市再開発、株式へ流れ込み、 資産価格上昇の回路が日本経済の内部に形成されたフェーズ。
相場は、 出来事の数だけで転換するわけではありません。
政策、信用、流動性、市場参加者、 企業評価の基準が組み替わり、 それまでとは異なる論理で 資金が動き始めたとき、 市場は新しいレジームへ入ります。
1986年1月30日から始まる 「平成バブル拡大相場」は、 単に株価が上昇した時代ではありません。
低金利によって供給された資金が、 銀行貸出を通じて土地へ向かい、 土地価格の上昇が担保価値を高め、 高まった担保価値が さらに新しい信用を生み出しました。
そして、土地の価値は 不動産市場だけにとどまりませんでした。
企業が保有する土地の含み益が株価へ反映され、 東京湾岸の倉庫、工場、造船所、埋立地までもが、 将来のオフィス、住宅、商業施設として 株式市場の評価対象になっていきます。
市場が買い始めたのは、 現在の利益だけではありません。
市場は、 まだ実現していない都市の未来価値を 先回りして買い始めました。
このとき、 都市は生活空間や産業基盤であるだけでなく、 株価と信用を生み出す金融商品へ変わります。
金融緩和が土地を押し上げ、
土地が信用を生み、
信用が都市を投資対象へ変えた。
- フェーズ概要
- 平成バブル拡大相場とは何か
- なぜ1986年1月30日からなのか
- 円高不況と金融緩和
- 土地が信用を生み始めた
- 企業価値の基準が変わった
- ウォーターフロント相場
- 都市そのものが金融商品になった
- Qレシオと含み資産株
- 利益よりも、どこに土地を持つか
- NTT上場
- 株式市場が国民的な話題になった
- 国内資産インフレと海外金利上昇
- 1987年2月22日、ルーブル合意
- イラン・イラク戦争と原油供給不安
- 西ドイツの金利上昇
- 米国長期金利の上昇
- 機械的売買が下落を増幅した
- 1987年10月19日、ブラックマンデー
- ブラックマンデーはフェーズの終点ではない
- ショックとレジーム転換は同じではない
- ブラックマンデー後、日本市場は何を示したのか
- 「日本だけは違う」という認識
- 1988年1月5日、制度が市場を変えた
- なぜ制度変更がフェーズチェンジなのか
- なぜ1988年1月5日までなのか
- Phase End Signal
- このフェーズで変わったもの
- Regime Drivers
- 市場心理
- MHDB Classification
- machine_phaseとhuman phaseの橋渡し
- 次フェーズへの接続
- まとめ
- 参考資料
フェーズ概要
- Market Cycle: 平成バブル形成・膨張サイクル
- Market Phase: 平成バブル拡大相場
- 期間: 1986年1月30日 ~ 1988年1月5日
- 開始条件: 公定歩合引き下げによって金融緩和が具体化し、低金利資金が土地・信用・株式へ接続し始めた
- 終了条件: 大蔵省による特金・ファントラの決算計上の弾力化と生命保険会社の運用枠拡大により、機関投資家主導の資金循環へ移行した
- 主要構造: 金融緩和、銀行信用拡大、土地担保融資、都市再開発、含み資産評価、資産インフレ
- 主要な市場参加者: 銀行、不動産・建設・倉庫・土地保有企業、機関投資家、NTT上場を契機に参入した個人投資家
- Human Theme: 都市が金融商品になった
- 市場心理: 懐疑の中で成長し、ブラックマンデー後に日本市場への自信と楽観が強まった
- 次フェーズ: 平成バブル爛熟相場
本フェーズの開始日は、 1986年1月30日です。
円高不況への対応として進められていた金融緩和が、 この日の公定歩合引き下げによって、 実際の資金供給と資産価格上昇へ 明確に接続し始めたと考えるためです。
一方、終了日は 1988年1月5日とします。
1987年10月のブラックマンデーは、 世界市場に巨大な衝撃を与えましたが、 日本の土地、信用、流動性の上昇構造を 直ちに崩壊させませんでした。
日本株はその後も国内資金に支えられ、 市場では次第に、 「日本の資産価格上昇は続く」 という認識が強まっていきます。
しかし、その段階ではまだ、 次の爛熟相場を特徴づける 特金、ファントラ、生保資金による 大規模な機関投資家主導の資金循環は 制度的に完成していませんでした。
1988年1月5日、 大蔵省が、 特金・ファントラの決算計上の弾力化と 生命保険会社の運用枠拡大を軸とする対策を打ち出します。
Market History DBでは、 この政策措置によって、 資産価格上昇を支える資金主体と運用構造が変化したことを、 次フェーズへの制度的転換点と位置付けます。
相場推移と主要イベント
本フェーズの日経平均株価と主要イベントです。 金融緩和の進行、 土地担保融資と信用拡大、 ウォーターフロント相場、 NTT上場、 ブラックマンデーを経て、 機関投資家主導の資金循環へ移行するまでの 市場構造の変化を確認できます。
この期間の出来事
平成バブル拡大相場とは何か
平成バブル拡大相場とは、 金融緩和によって生まれた流動性が、 株式市場だけではなく、 土地、銀行信用、企業財務、都市開発へ広がり、 それぞれが互いの価格上昇を支え始めたフェーズです。
この相場を、 単なる「低金利による株高」と捉えるだけでは不十分です。
重要なのは、 金融緩和によって供給された資金が 実体経済の設備投資や消費だけに向かわず、 既存資産の価格上昇へ流れたことです。
銀行は、 円高によって収益環境が悪化した製造業に代わる 新しい融資先を探しました。
その有力な受け皿となったのが、 不動産、建設、ノンバンク、 そして土地を保有する企業でした。
土地には担保価値がありました。
しかも土地価格が上昇すれば、 同じ土地から、より多くの融資を引き出せます。
融資によって得た資金で、 さらに土地や株式が買われれば、 資産価格はもう一段上昇します。
すると担保価値が再び上昇し、 銀行はさらに貸し出すことができます。
金融緩和
↓
銀行の資金余剰
↓
不動産・土地保有企業への融資
↓
土地価格の上昇
↓
担保価値の上昇
↓
信用供給の拡大
↓
株価・地価のさらなる上昇
この循環が成立したことで、 土地価格の上昇は結果ではなく、 新しい信用を生み出す原因になりました。
つまり、このフェーズでは、 土地が値上がりしたから景気が良くなったのではありません。
土地の値上がりそのものが、 銀行貸出、企業投資、株式評価を拡大させる 金融システムの一部になったのです。
平成バブル拡大相場の中核は、 「金融緩和」単独ではありません。
金融緩和、土地担保、銀行信用、株価評価が 相互に増幅し始めたことにあります。
なぜ1986年1月30日からなのか
Market History DBでは、 平成バブル拡大相場の開始日を 1986年1月30日とします。
この日は、 日本銀行が公定歩合を引き下げ、 円高不況への対応として進められていた金融緩和が 一段と明確になった日です。
ただし、 一度の利下げだけで バブルが始まったと判断するわけではありません。
利下げは、 あくまでレジーム転換を起動した政策シグナルです。
その後、
低金利の定着
↓
銀行の運用難
↓
不動産・建設・ノンバンクへの資金供給
↓
土地担保融資の拡大
↓
地価上昇と企業含み益の増加
↓
土地保有企業の株価上昇
という連鎖が形成されていきました。
このため開始日は、 相場の最安値や 特定業種の急騰日ではなく、 金融政策が資産価格上昇へ接続し始めた日として設定します。
価格の変化は、 レジーム転換の結果です。
MHDBが分類しようとするのは、 価格が上がった日ではなく、 価格を上げる構造が動き始めた日です。
円高不況と金融緩和
1985年のプラザ合意以降、 円は急速に上昇しました。
輸出企業にとって、 円高は海外売上の円換算額を減少させ、 価格競争力を低下させる要因になります。
日本経済には、 輸出産業を中心とする景気悪化への警戒が広がりました。
金融政策は、 この円高不況を緩和する方向へ動きます。
金利が低下すると、 企業や金融機関の資金調達コストは下がります。
しかし、 輸出環境が悪化している局面では、 製造業が直ちに大規模な設備投資を増やすとは限りません。
需要が弱い一方で、 金融機関には運用しなければならない資金が残ります。
このとき、 資金は新しい収益機会を探し始めます。
その行き先となったのが、 不動産、建設、土地保有企業、 そして都市再開発でした。
ここに、 後のバブルを特徴づける矛盾があります。
金融緩和は、 実体経済の悪化を支えるために行われました。
しかし、その資金の一部は、 生産能力の拡大よりも 既存資産の価格上昇へ向かいました。
景気対策として始まった政策が、 資産価格上昇の基盤へ変わっていったのです。
Before
円高不況への対応
金融緩和によって、 企業活動と景気を下支えする。
After
資産価格の上昇
低金利資金が土地と株式へ流れ、 資産価値を押し上げる。
土地が信用を生み始めた
このフェーズを理解するうえで、 最も重要な構造の一つが 土地担保融資です。
銀行は、 融資先の返済能力だけでなく、 担保となる土地の価値を重視しました。
土地価格が上昇すれば、 企業や不動産事業者は より大きな借入を行うことができます。
借入によって得た資金で 新しい土地を取得し、 開発計画を立て、 株式や不動産へ再投資することができます。
それによって地価が上昇すれば、 既に保有する土地の担保価値も高まります。
こうして土地は、 単に保有される資産から、 継続的に信用を生み出す装置へ変わりました。
土地を保有する
↓
地価が上昇する
↓
担保価値が高まる
↓
借入可能額が増える
↓
新たな土地・株式を購入する
↓
資産価格がさらに上昇する
この循環が続く限り、 土地価格の上昇は 銀行にとって融資拡大の根拠になります。
企業にとっても、 本業の利益だけでなく、 保有する土地の値上がりが 資金調達力と市場評価を高めるようになります。
ここで、 企業価値を測る基準が変わり始めます。
企業が何を生産し、 どれだけ利益を稼いでいるかだけではなく、 どこに、どれだけ土地を持っているかが 株式市場で重要になっていきました。
土地価格の上昇は、 不動産会社だけの問題ではありません。
鉄道、倉庫、造船、製造業、流通など、 都市部や湾岸部に広大な土地を持つ企業が、 資産価値の観点から再評価されました。
土地の含み益が、 株価上昇の物語へ変換されたのです。
土地は、値上がりする資産から、 信用を増幅する金融装置へ変わりました。
この変化が、 資産価格と銀行貸出を結びつける バブルの基本回路を形成しました。
企業価値の基準が変わった
通常、株式市場は 企業の利益、成長率、競争力を評価します。
しかし土地価格が上昇し続ける環境では、 企業の保有資産そのものが 利益とは別の価値を持ち始めます。
特に注目されたのが、 企業が過去に取得した土地の簿価と、 現在の市場価格との差でした。
長期間保有されてきた土地は、 貸借対照表上では低い簿価のままでも、 実際の市場価格は大きく上昇していました。
この差が、 いわゆる土地の含み益です。
市場参加者は、 企業の決算書に表れている利益だけでなく、 表面化していない土地価値まで 株価へ織り込み始めました。
この評価方法が広がると、 本業の収益性がそれほど高くなくても、 都心や湾岸部に広い土地を持つ企業の株価が 上昇するようになります。
企業の価値は、
Before
利益と成長力
本業でどれだけ利益を稼ぎ、 将来どれだけ成長できるか。
After
土地と含み益
どこに、どれだけ価値ある土地を 保有しているか。
へと拡張されました。
この変化は、 単なる投資テーマの変化ではありません。
株式市場が企業を見るレンズそのものが、 収益中心から資産価値中心へ変わり始めたことを意味します。
そして、その評価軸が最も鮮明に現れたのが、 東京湾岸を舞台とする ウォーターフロント相場でした。
ウォーターフロント相場
平成バブル拡大相場を象徴するテーマは、 ウォーターフロント相場です。
ウォーターフロントとは、 港湾、埋立地、倉庫街、工場跡地、 造船所などが集まる都市の臨海部を指します。
それまで東京湾岸は、 物流、生産、貯蔵を担う 産業インフラとして位置付けられていました。
しかし、東京の都市機能が拡大し、 オフィス、住宅、商業施設への需要が高まるにつれて、 湾岸部は巨大な再開発余地を持つ土地として 注目されるようになります。
倉庫は、 単なる貨物保管施設ではなくなりました。
工場跡地は、 生産設備の跡ではなくなりました。
造船所や埋立地も、 現在の事業収益ではなく、 将来の都市開発価値によって評価され始めました。
市場が見ていたのは、 その土地が今、何を生み出しているかではありません。
将来、その土地が オフィス、住宅、ホテル、商業施設へ変わったとき、 どれほど大きな価値を持つかでした。
港湾・倉庫・工場用地
↓
都市再開発への期待
↓
保有土地の価値上昇
↓
企業の含み益拡大
↓
株価の再評価
この物色によって、 倉庫、建設、不動産、造船、 湾岸部に土地を持つ企業などが 市場の注目を集めました。
重要なのは、 これらの企業の株価が 現在の利益だけで説明されていたわけではないことです。
市場は、 企業の土地を通じて まだ存在していない未来の都市を買っていました。
再開発計画が具体化する前から、 その可能性が株価へ織り込まれ、 土地価格と企業価値が相互に上昇しました。
この意味で、 ウォーターフロント相場は 単なる不動産関連株の上昇ではありません。
都市空間そのものが、 将来収益を生み出す金融資産として 評価され始めた相場です。
ウォーターフロント相場とは、 東京湾岸の再開発期待を買った相場であると同時に、 都市の未来価値を現在の株価へ変換した相場でした。
都市そのものが金融商品になった
都市は本来、 人が住み、働き、 物を生産し、運ぶための空間です。
しかし、ウォーターフロント相場では、 都市の役割が変わりました。
都市は、 将来の開発利益を先取りして評価される 金融商品になりました。
東京湾岸の土地を保有する企業は、 その土地を直ちに売却しなくても、 株式市場で高く評価されます。
地価が上昇すれば、 企業の含み益が増加します。
含み益が増加すれば、 企業の資産価値と信用力が高まります。
信用力が高まれば、 銀行から新たな資金を調達できます。
その資金がさらに土地や株式へ流れれば、 資産価格はもう一段上昇します。
この循環の中では、 都市開発の期待が 土地価格を押し上げ、 土地価格の上昇が 株価と信用を押し上げます。
そして株価と信用の上昇が、 都市開発期待をさらに強化します。
都市再開発への期待
↓
土地価格の上昇
↓
企業含み益の増加
↓
株価と信用力の上昇
↓
さらなる資金流入
↓
再開発期待の拡大
この構造が、 平成バブル拡大相場の 人間的な意味を最もよく表しています。
金融市場は、 完成した都市を評価していたのではありません。
まだ建設されていないビル、 まだ開業していない商業施設、 まだ実現していない土地利用の転換を、 現在の資産価値として買っていました。
未来への期待が 土地価格へ変換され、 土地価格が信用へ変換され、 信用が株価へ変換される。
このとき、 都市は経済活動の舞台であるだけでなく、 資金を生み出す担保であり、 株価を押し上げる物語であり、 投資対象そのものになりました。
ウォーターフロント相場とは、
湾岸の土地が買われた相場ではない。
まだ存在しない未来の都市を、
株式市場が先に買い始めた相場だった。
Qレシオと含み資産株
ウォーターフロント相場によって、 湾岸部や都心部に土地を保有する企業が注目されると、 株式市場では企業価値を測る新しい説明が必要になりました。
従来の株価評価では、 企業が現在どれだけ利益を上げているか、 その利益が将来どれだけ成長するかが 中心的な判断材料になります。
しかし、土地価格が急速に上昇する局面では、 損益計算書に表れる利益だけでは、 企業の価値を十分に説明できないと考えられるようになります。
企業が保有する土地の市場価格が、 帳簿上の取得価格を大幅に上回っていたからです。
この帳簿価格と時価との差が、 企業の含み益として意識されました。
含み益は、 通常の営業利益とは異なります。
土地を売却しなければ、 その利益が現金として実現するわけではありません。
それでも市場は、 保有土地の価値が高まれば、 企業の財務的な余力も、 借入能力も、 将来の開発可能性も高まると評価しました。
この資産価値を株価へ結びつける理論として、 市場で語られたのが Qレシオです。
Qレシオは、 企業の市場価値と、 企業が保有する資産を再取得するために必要な価値を 比較する考え方です。
当時の日本株市場では、 この考え方が 土地の含み益を株価評価へ組み込む説明として 受け入れられていきました。
地価上昇
↓
保有土地の時価上昇
↓
企業の含み益拡大
↓
資産価値の再評価
↓
株価上昇
この評価方法が広がると、 企業の本業が何であるか以上に、 どこに土地を保有しているかが重要になります。
倉庫会社であっても、 鉄道会社であっても、 造船会社であっても、 都心や湾岸部に広大な土地を持っていれば、 不動産価値の観点から買われるようになりました。
株式市場では、 企業の事業価値と土地価値が 一体化していきます。
市場参加者は、 企業がその土地を実際に売却するかどうかよりも、 土地価格が上昇し続けることを前提に 将来の含み益を株価へ織り込みました。
ここで重要なのは、 Qレシオが単なる分析指標として使われたのではなく、 高い株価を正当化する物語としても機能したことです。
企業の利益に対して株価が高く見えても、 保有土地を時価で評価すれば、 その株価は必ずしも割高ではない。
この論理によって、 従来の利益基準では説明しにくい株価上昇が 資産価値の観点から説明されました。
Before
収益価値
現在の利益と将来の成長力によって、 企業価値を判断する。
After
資産価値
保有土地の時価と含み益によって、 企業価値を再評価する。
Qレシオは、 土地価格の上昇を株価上昇へ変換する 市場の説明装置になりました。
利益では高すぎる株価が、 土地の含み益を加えることで 合理的に見えるようになったのです。
利益よりも、どこに土地を持つか
含み資産株への物色は、 株式市場における企業の分類そのものを変えました。
企業は本来、 製品、サービス、技術、 競争力によって評価されます。
しかし、平成バブル拡大相場では、 企業の保有土地が もう一つの主要な評価軸になります。
特に注目されたのは、 東京の都心部や湾岸部、 主要駅周辺など、 将来の再開発価値が高い土地を持つ企業でした。
市場参加者は、 企業の有価証券報告書や土地保有状況を調べ、 帳簿上では見えにくい資産価値を探しました。
その企業が何を製造しているかよりも、 工場がどこにあるか。
倉庫がどれだけ利益を上げているかよりも、 その倉庫用地が将来何に転用できるか。
造船所が何隻の船を建造するかよりも、 その敷地が再開発された場合に どれほどの価値を持つか。
こうした見方が、 市場の中心へ広がりました。
| 従来の企業評価 | 含み資産相場の企業評価 |
|---|---|
| 売上高 | 保有土地の時価 |
| 営業利益 | 土地の含み益 |
| 製品競争力 | 土地の立地条件 |
| 成長投資 | 再開発可能性 |
| 将来の事業収益 | 将来の資産価値 |
この評価転換によって、 産業会社と不動産会社の境界は曖昧になります。
広大な土地を持つ企業は、 本業とは別に、 潜在的な不動産会社として評価されました。
土地を売却しなくても、 地価上昇によって含み益が増えれば、 株価は上昇します。
株価が上昇すれば、 企業の時価総額と信用力が高まり、 新たな資金調達も容易になります。
つまり、 含み益は単なる帳簿外の価値ではありませんでした。
それは、 株価、信用、資金調達を結びつける 市場レジームの一部になっていました。
企業は、本業によって評価される存在から、 土地を保有する器としても評価される存在へ変わりました。
NTT上場
1987年、 日本株市場に 新しい市場参加者を呼び込む象徴的な出来事が起こります。
日本電信電話、 NTTの株式上場です。
NTTは、 日本を代表する巨大企業であると同時に、 多くの国民が日常的に利用する 通信インフラの運営主体でした。
そのためNTT株は、 それまで株式投資に関心を持っていなかった人々にも 理解しやすい銘柄でした。
商品やサービスを知っている。
国を代表する企業である。
規模が大きく、 簡単には消滅しないと考えられる。
こうした安心感が、 株式投資の経験を持たない層を 市場へ引き寄せました。
NTT上場の重要性は、 大型株が一つ増えたことだけではありません。
株式投資を、 証券会社、企業経営者、富裕層、 専門的な投資家だけの世界から、 一般家庭の話題へ広げたことにあります。
国有企業の民営化
↓
NTT株の売り出し
↓
全国的な注目
↓
新規個人投資家の参入
↓
株式投資の大衆化
NTT株は、 株式市場へ参加するための 入口として機能しました。
それまで株価欄を見なかった人が、 新聞の株価を確認するようになります。
証券会社に口座を持たなかった人が、 株式購入を検討するようになります。
家庭の中で、 株式投資が話題になります。
こうして株式市場は、 専門家中心の市場から、 国民的な関心を集める市場へ変わり始めました。
株式市場が国民的な話題になった
NTT上場によって変化したのは、 市場参加者の人数だけではありません。
株式市場に対する 社会の見方そのものが変わりました。
株式投資は、 価格変動の大きい専門的な取引である一方、 経済成長や企業成長の利益を 個人も受け取ることができる手段として語られました。
特にNTTのような 知名度と公共性を持つ企業の株式は、 初めて株式を購入する人にとっても 心理的な障壁が低いものでした。
市場へ新しい参加者が入ることは、 単に売買代金が増えることを意味しません。
価格上昇を支える新しい需要が生まれ、 株式市場の上昇が 社会全体の関心事になることを意味します。
株価が上昇すれば、 NTT株を保有した個人投資家の成功体験が 周囲へ伝わります。
成功体験が広がれば、 まだ参加していない人々も 株式投資に関心を持ちます。
大型上場
↓
個人投資家の参入
↓
株価上昇による成功体験
↓
報道と口コミの拡大
↓
さらなる参加者流入
この循環によって、 株式市場は金融市場の一部であるだけでなく、 社会的な現象になっていきました。
NTT上場は、 バブルを直接生み出した原因ではありません。
しかし、 すでに形成されていた資産価格上昇の構造へ 新しい個人投資家を接続しました。
土地、信用、都市開発を中心に拡大していたバブルに、 国民参加という新しい要素が加わったのです。
NTT上場は、 バブルの原因ではなく、 バブルへ参加する人々の範囲を広げた出来事でした。
市場は機関投資家と企業だけのものから、 一般家庭まで巻き込む市場へ変わり始めました。
国内資産インフレと海外金利上昇
日本国内では、 金融緩和、土地価格上昇、 含み資産株、個人投資家の参入によって、 資産価格上昇の構造が強まっていました。
しかし、世界市場では、 それとは異なる変化が進んでいました。
世界の株式市場を支えてきた 金利環境が変化し始めていたのです。
1987年の世界市場では、 為替安定を目的とする国際協調、 原油供給への不安、 インフレ懸念、 欧米の金利上昇が重なりました。
日本では低金利が継続し、 国内資金が土地と株式へ向かっていました。
一方、海外では、 債券価格が下落し、 長期金利が上昇し、 高値圏にあった株式の評価が圧迫されていました。
Japan
流動性拡大
低金利、土地担保融資、 含み資産評価による株価上昇。
Global
金利上昇
インフレ警戒、債券価格下落、 株式評価の圧迫。
この国内外のレジーム差が、 1987年秋の市場を不安定にしました。
日本株は、 国内流動性と資産価値によって上昇を続けます。
しかし世界市場では、 株価上昇を支えてきた低金利という前提が 崩れ始めていました。
ブラックマンデーは、 一つの事件だけによって起きたものではありません。
為替、金利、原油、株価評価、 機械的な売買が複雑に重なった結果として 発生した世界的な市場ショックでした。
1987年2月22日、ルーブル合意
1985年のプラザ合意以降、 ドル安と円高が急速に進みました。
円高は、 日本の輸出企業に収益悪化への懸念をもたらし、 国内では金融緩和を継続する理由の一つになりました。
一方、 ドル安が行き過ぎれば、 米国の通貨と金融市場に対する信認も損なわれます。
1987年2月22日、 主要先進国はパリで会合を開き、 行き過ぎたドル安を抑え、 為替相場の安定を目指す方針を確認しました。
これが、 ルーブル合意です。
プラザ合意が ドル高を是正するための政策協調だったのに対し、 ルーブル合意は 進み過ぎたドル安を安定させるための政策協調でした。
日本株市場にとって、 円高進行の一服は 輸出企業の収益不安を和らげる材料になりました。
しかし、 為替相場を一定の範囲に保つには、 各国の金融政策にも整合性が必要になります。
ドルを支えるためには、 米国金利を相対的に高く保つか、 日本や西ドイツが金融緩和的な政策を維持する必要があります。
ところが、 各国の景気と物価の状況は同じではありませんでした。
日本は円高不況への対応から 金融緩和を継続していました。
西ドイツでは、 物価と通貨への警戒から 金融引き締め圧力が強まります。
米国では、 ドルを支える必要と、 株式市場や景気を支える必要が 衝突し始めました。
ルーブル合意は、 短期的には為替市場へ安心感を与えました。
しかし同時に、 異なる国内事情を持つ各国が 一つの為替目標を維持しようとする矛盾を 金融市場の内部へ蓄積させました。
イラン・イラク戦争と原油供給不安
1980年に始まったイラン・イラク戦争は、 1987年にタンカー戦争として 緊張を強めました。
ペルシャ湾を航行する石油タンカーへの攻撃や 機雷敷設、 米軍の関与によって、 原油輸送への不安が高まります。
ここで重要なのは、 イラン・イラク戦争を 日本株の直接的な上昇・下落要因として 単純化しないことです。
市場へ影響したのは、 戦争そのものよりも、 原油供給が滞る可能性と、 それに伴うインフレ懸念でした。
タンカー戦争の激化
↓
原油供給不安
↓
原油価格上昇への警戒
↓
インフレ懸念
↓
債券売り
↓
長期金利上昇
原油価格の上昇は、 企業の原材料費や輸送費を押し上げます。
同時に、 物価上昇を抑えるための 金融引き締め観測を強めます。
金利が上昇すれば、 債券価格は下落し、 株式の相対的な魅力も低下します。
また、将来利益を高い金利で割り引くことになるため、 理論上の株式価値も下がります。
原油供給不安は、 単独でブラックマンデーを引き起こしたわけではありません。
しかし、 インフレと金利上昇への警戒を強め、 すでに不安定化していた世界の金融市場に 追加的な圧力を加えました。
Timeline Event
イラン・イラク戦争(タンカー戦争)
ペルシャ湾における原油供給リスクと、 インフレ懸念、金利上昇を通じた 世界金融市場への波及を解説しています。
西ドイツの金利上昇
ルーブル合意後、 主要国は為替相場を安定させるため、 政策協調を続けようとしました。
しかし、 各国の物価、景気、通貨を取り巻く状況は 一致していませんでした。
西ドイツでは、 インフレと通貨への警戒から、 金融政策を引き締め方向へ動かす圧力が強まりました。
西ドイツの金利が上昇すると、 資金はより高い金利を得られる ドイツマルクへ向かいやすくなります。
その結果、 ドルに対する下落圧力が強まります。
ドル安を防ぐには、 米国も金利を高く保つ必要が生じます。
西ドイツの金利上昇
↓
ドイツマルクへの資金流入
↓
ドル安圧力
↓
米国金利の上昇圧力
↓
米国債価格の下落
↓
株式評価の圧迫
この構造は、 米国市場にとって大きな問題でした。
株価はすでに高値圏にあり、 債券金利が上昇すれば、 投資家は高い価格で株式を保有する理由を 再検討することになります。
また、 金利上昇は企業の資金調達コストを高め、 将来の利益成長にも不安を与えます。
為替を守るための金利上昇が、 株式市場を圧迫する。
株式市場を守るために金利を下げれば、 ドル安が進む。
1987年秋の市場は、 この政策上の矛盾を抱えていました。
ブラックマンデー前の世界市場では、 為替安定と株価安定を 同時に維持することが難しくなっていました。
米国長期金利の上昇
1987年の米国市場では、 株価が上昇する一方で、 長期金利も上昇していました。
通常、 長期金利の上昇は 株式市場に複数の経路から圧力を与えます。
第一に、 債券の利回りが上昇すれば、 投資家は価格変動の大きい株式を保有しなくても 一定の収益を得られるようになります。
株式に対する債券の相対的な魅力が 高まるのです。
第二に、 金利上昇は企業の借入コストを高め、 利益成長を抑える可能性があります。
第三に、 将来の利益を現在価値へ割り引く際の金利が高くなるため、 理論上の株価評価は低下します。
| 金利上昇の経路 | 株式市場への影響 |
|---|---|
| 債券利回り上昇 | 債券の相対的な魅力が高まる |
| 企業借入コスト上昇 | 将来利益への警戒が強まる |
| 割引率上昇 | 株式の理論価値が低下する |
| ドル防衛 | 金融緩和による株価支援が難しくなる |
株価と金利が同時に上昇している間は、 市場参加者が企業利益の成長を強く信じている限り、 相場は維持されます。
しかし、 金利上昇が続き、 利益成長への期待が弱まれば、 高い株価評価は急速に不安定になります。
1987年秋、 米国市場では 株価の高さと金利の高さが 両立しにくい水準へ近づいていました。
そこへ、 為替政策への不信、 原油供給不安、 インフレ懸念が重なります。
市場は、 一つの悪材料で崩壊したのではありません。
複数の構造的な緊張が、 同時に限界へ近づいていたのです。
機械的売買が下落を増幅した
ブラックマンデーを理解するには、 金利や為替だけでなく、 当時の市場構造にも注目する必要があります。
1980年代の米国市場では、 株価指数先物やオプションなどの 金融技術が急速に発達しました。
その中で広がったのが、 株価下落時に先物売りなどを行い、 ポートフォリオ全体の損失を抑えようとする 機械的な運用手法です。
こうした手法は、 通常の値動きの中では リスク管理として機能します。
しかし、 市場全体が急速に下落すると、 価格下落に反応して 追加の売り注文が発生します。
その売りがさらに価格を下げ、 価格下落がまた新しい売り注文を生みます。
株価下落
↓
機械的な売りシグナル
↓
先物・現物への売り
↓
株価のさらなる下落
↓
追加の売りシグナル
この循環によって、 本来は損失を抑えるための仕組みが、 市場全体では下落を増幅する仕組みへ変わりました。
買い手が減少する一方で、 売り注文だけが機械的に増加すれば、 市場価格は連続的に下落します。
ブラックマンデーは、 経済環境の悪化だけでなく、 市場参加者が似たリスク管理手法を採用したことによって、 売りが自己増殖した出来事でもありました。
個々の投資家にとって合理的なリスク管理が、 市場全体では暴落を増幅することがあります。
ブラックマンデーは、 市場構造そのものが危機を拡大した例でした。
1987年10月19日、ブラックマンデー
1987年10月19日、 ニューヨーク株式市場は 歴史的な暴落に見舞われました。
ブラックマンデーです。
暴落は米国市場だけにとどまらず、 世界の主要株式市場へ連鎖しました。
高い株価評価、 長期金利の上昇、 ドルと為替政策への不安、 原油供給をめぐるインフレ懸念、 機械的な売買。
それまで別々に存在していた不安材料が、 一日の中で同時に表面化しました。
高い株価評価
+
米国長期金利の上昇
+
国際政策協調への不信
+
原油・インフレ懸念
+
機械的売買
↓
世界同時株安
ブラックマンデーは、 市場参加者が共有していた前提を 一日にして崩しました。
株価は、 流動性が続く限り上昇する。
政策当局は、 為替と株価を安定させることができる。
先物やオプションを使えば、 下落リスクを管理できる。
こうした認識が、 同時に揺らぎました。
世界市場にとって、 ブラックマンデーは 長期上昇相場の内部に蓄積していた矛盾が 一気に噴き出した出来事でした。
日本株も、 世界的な株安の影響を受けます。
しかし、 Market History DBでは、 この1987年10月19日を 平成バブル拡大相場の終了日とはしません。
なぜなら、 この時点ではまだ、 日本国内の土地、信用、金融緩和、 資産価値上昇の構造が 崩壊したとは判断できなかったためです。
暴落は、 レジームに対する重大なストレスでした。
しかし、 ストレスが発生したことと、 レジームが終了したことは同じではありません。
フェーズ転換を判断するには、 暴落後に市場がどのように回復し、 政策当局がどのように対応し、 資金の流れがどのように変化したかを 確認する必要があります。
Timeline Event
ブラック・マンデー1987
1987年10月の世界同時株安と、 金利、為替、機械的売買が 暴落を増幅した市場構造を解説しています。
ブラックマンデーはフェーズの終点ではない
価格チャートだけを見れば、 ブラックマンデーは 明確な転換点に見えます。
世界中の株価が急落し、 それまでの上昇相場が否定されたように見えたからです。
しかし、 市場レジームを判定する際には、 暴落の大きさだけで フェーズ終了を決めることはできません。
重要なのは、 価格下落によって、 それまで相場を支えていた構造が 本当に失われたかどうかです。
日本では、 ブラックマンデー後も 金融緩和環境が続きました。
銀行の信用供給能力も、 土地担保融資の仕組みも、 企業が保有する土地の含み益も、 直ちには消滅しませんでした。
株価は下落しましたが、 資産価格上昇を生み出していた 国内の構造は残っていました。
| 観測対象 | ブラックマンデー直後の状態 | レジーム判定 |
|---|---|---|
| 株価 | 急落 | 重大なストレス |
| 金融政策 | 緩和環境が継続 | 構造は維持 |
| 銀行信用 | 供給能力が残る | 構造は維持 |
| 土地価格 | 上昇前提が直ちには崩れない | 構造は維持 |
| 企業含み益 | 資産価値評価が継続 | 構造は維持 |
| 市場心理 | 恐怖と懐疑が強まる | 結論は未確定 |
したがって、 ブラックマンデーは 平成バブル拡大相場を終わらせた出来事ではありません。
それは、 相場の構造が崩壊するか、 あるいは国内流動性によって再び回復するかを試す 重大なレジームテストでした。
このテストを経て、 日本市場は 世界市場とは異なる方向へ進み始めます。
世界的な暴落を経験しても、 国内の土地、信用、流動性が 日本株を支える。
この認識が形成されることで、 市場心理は 単純な恐怖から 日本市場固有の強さへの自信へ変化していきます。
ただし、 この心理変化だけをもって 次フェーズへ移ったとは判定しません。
次のレジームを決定づけるには、 市場心理の変化に加えて、 資金主体と運用制度の変化が必要でした。
その制度的な転換点が、 1988年1月5日に打ち出された 大蔵省の対策です。
ブラックマンデーは、 平成バブル拡大相場の終了日ではなく、 国内バブル構造の強さを試した レジームテストでした。
価格は崩れても、 土地、信用、流動性の構造は まだ崩れていませんでした。
ショックとレジーム転換は同じではない
相場史をイベントだけで区切ると、 大幅な株価下落が発生した日を そのままフェーズ終了日にしたくなります。
しかし、 市場ショックとレジーム転換は 区別しなければなりません。
市場ショックとは、 価格、ボラティリティ、流動性に 急激な変化が起きることです。
一方、 レジーム転換とは、 価格を動かす支配的な構造が 別の構造へ置き換わることです。
Market Shock
価格の急変
株価急落、 ボラティリティ上昇、 一時的な流動性低下。
Regime Change
構造の置換
政策、信用、資金主体、 運用ルールの変化。
ブラックマンデーは、 極めて大きな市場ショックでした。
しかし日本では、 金融緩和と信用拡大を中心とする 国内レジームが維持されました。
むしろ暴落後の回復によって、 日本市場には 世界市場とは異なる強さがあるという認識が 形成されていきます。
この認識は、 次の爛熟相場へ向かう 心理的な条件になりました。
しかし、 心理だけでは フェーズ転換の十分条件にはなりません。
次のフェーズは、 新しい資金がどの主体から、 どの制度を通じて市場へ流入するかが 明確になった時点で始まります。
したがって、 Market History DBでは ブラックマンデーを フェーズ終了シグナルではなく、 次の制度転換へ向かう移行シグナル として位置付けます。
暴落したから、 レジームが終わるのではない。
暴落後に、 何が残り、 何が変わったか。
それを確認して初めて、 フェーズ転換は定義できる。
ブラックマンデー後、日本市場は何を示したのか
ブラックマンデーによって、 世界の株式市場は 同時に大きな下落を経験しました。
日本市場も例外ではありませんでした。
株価は急落し、 市場参加者の間には、 それまで続いてきた上昇相場が 終わるのではないかという警戒が広がりました。
しかし、 その後の日本市場で確認されたのは、 バブル構造の消滅ではありませんでした。
金融緩和は継続し、 銀行の信用供給力も残り、 土地価格の上昇を前提とした 担保融資の仕組みも維持されました。
企業が保有する土地の含み益も、 株式市場の評価軸として残り続けます。
つまり、 株価は大きく下落しても、 株価上昇を生み出してきた 国内の構造は失われていませんでした。
ブラックマンデー後の相場が示したのは、 日本市場が世界市場と切り離されていたということではありません。
世界的なショックを受けてもなお、 日本国内の流動性、信用、土地資産が、 市場を支える力を持っていたということです。
世界同時株安
↓
日本株も急落
↓
金融緩和・信用構造は維持
↓
国内資金が相場を支える
↓
日本市場への自信が形成
この経験によって、 市場参加者の認識は変わり始めます。
それまでは、 土地価格や株価の上昇が どこまで持続するのかという懐疑が残っていました。
しかし、 世界的な暴落を経験しても 日本市場の構造が崩れなかったことで、 「日本の資産価格上昇は簡単には終わらない」 という認識が強まっていきます。
ブラックマンデーは、 日本市場のバブルを終わらせませんでした。
むしろ、 日本の土地、信用、流動性への信頼を 強化する結果となりました。
Before
バブルへの懐疑
世界市場が崩れれば、 日本の資産価格上昇も終わるのではないか。
After
日本市場への自信
世界市場が下落しても、 日本は国内流動性と資産価値によって支えられる。
「日本だけは違う」という認識
ブラックマンデー後に形成された 重要な市場心理が、 「日本だけは違う」 という認識です。
これは、 日本が世界経済の影響を受けないという意味ではありません。
実際、日本株も 世界同時株安の影響を受けて急落しました。
しかし、 市場参加者が注目したのは、 その後も日本国内の金融構造が 維持されたことでした。
日本には、 低金利による豊富な資金がある。
銀行には、 融資を拡大する余力がある。
企業には、 巨額の土地含み益がある。
東京の土地には、 世界でも特別な価値がある。
こうした説明が、 市場の中で次第に共有されていきました。
通常であれば、 世界的な株価暴落は 投資家を慎重にします。
しかし日本では、 暴落を経験しても相場が崩壊しなかったことが、 逆に国内市場への自信を強めました。
世界的暴落
↓
日本の金融構造は維持
↓
日本株は回復
↓
国内流動性への信頼
↓
「日本だけは違う」
この認識は、 相場の心理を 懐疑から楽観へ近づけました。
ただし、 Market History DBでは、 この心理変化だけを フェーズ転換の決定条件とはしません。
なぜなら、 市場心理は重要であっても、 それだけでは資金循環の構造が 変わったとは言えないためです。
次のフェーズを始めるには、 市場へ流入する資金の主体と、 その運用を支える制度が 新しい形へ変化する必要がありました。
「日本だけは違う」という自信は、 次フェーズの心理的条件でした。
しかし、 フェーズ転換を確定させたのは、 心理ではなく制度と資金構造の変化です。
1988年1月5日、制度が市場を変えた
Market History DBでは、 平成バブル拡大相場の終了日を 1988年1月5日とします。
この日、 大蔵省は、 特金・ファントラの決算計上の弾力化と、 生命保険会社の運用枠拡大を軸とする対策 を打ち出しました。
この措置の重要性は、 単なる会計上の変更や 金融機関への支援策にとどまりません。
株式市場へ流入する資金の規模、 資金の主体、 運用の継続性を変える 制度的な条件を整えたことにあります。
それまでの平成バブル拡大相場では、 金融緩和による資金が、 銀行融資、土地担保、都市再開発、 含み資産評価を通じて市場へ広がっていました。
相場の中核にあったのは、 土地と信用の増幅回路です。
しかし、 1988年1月5日の政策措置以降、 市場は次第に、 特金、ファントラ、生保などの 大規模な機関投資家資金によって 押し上げられる構造へ移っていきます。
Expansion Phase
土地と信用
金融緩和、 土地担保融資、 都市再開発、 含み資産評価が相場を拡大させる。
Mature Phase
機関投資家資金
特金、ファントラ、生保資金が、 株式市場を継続的に押し上げる。
ここで市場のレジームは、 「土地の価値が信用を生み、 信用が株価を押し上げる構造」から、
「制度によって拡張された 巨大な機関投資家資金が、 株価そのものを継続的に押し上げる構造」
へ移行し始めました。
この転換は、 価格チャートだけでは捉えにくいものです。
株価が上昇しているという点だけを見れば、 1987年以前も1988年以降も 同じ上昇相場に見えます。
しかし、 相場を押し上げる主体と仕組みは異なります。
MHDBがフェーズを分ける理由は、 価格の方向が変わったからではありません。
価格を押し上げる資金構造が変わったからです。
1988年1月5日は、 上昇相場が始まった日ではありません。
上昇相場を支える資金主体と運用制度が変わり、 バブルが次の段階へ移った日です。
なぜ制度変更がフェーズチェンジなのか
市場フェーズの境界を決めるとき、 価格変動だけを見ると、 大幅な上昇日や下落日が 転換点に見えます。
しかし、 価格は市場構造の結果です。
Market History DBが重視するのは、 価格が変化した日ではなく、 価格を動かす構造が変わった日です。
1988年1月5日の措置によって変化したのは、 主に次の三点です。
| 構造領域 | 変更前 | 変更後 | レジーム上の意味 |
|---|---|---|---|
| 資金主体 | 銀行・企業・土地保有主体 | 特金・ファントラ・生保など機関投資家 | 市場を押し上げる主体の大型化 |
| 運用構造 | 土地担保融資と資産株物色 | 制度的に拡張された株式運用 | 継続的な株式需要の形成 |
| 市場心理 | 上昇への懐疑と期待 | 上昇継続を前提とする楽観 | バブルの社会的定着 |
第一に、 資金主体が変わりました。
銀行貸出や企業資金を中心としていた市場に、 特金、ファントラ、生保などの 大規模な運用資金が より強く関与するようになります。
第二に、 株式市場への資金流入が 一時的な投機ではなく、 制度に支えられた継続的な運用行動へ変化しました。
第三に、 市場参加者の心理が変わりました。
ブラックマンデーを乗り越え、 さらに制度面から資金供給が強化されたことで、 相場は簡単には終わらないという認識が広がります。
この三つが重なったことで、 平成バブルは 拡大局面から爛熟局面へ移行しました。
フェーズ名を 「平成バブル爛熟相場」とする理由も、 単に株価が高値圏へ進んだからではありません。
資産価格上昇が 市場の一部の現象ではなく、 企業行動、金融機関の運用、 社会の価値観全体へ浸透し始めたからです。
なぜ1988年1月5日までなのか
Market History DBでは、 平成バブル拡大相場の終了日を 1988年1月5日とします。
ブラックマンデーが発生した 1987年10月19日を終了日としないのは、 暴落によって日本国内のバブル構造が 崩壊しなかったためです。
ブラックマンデー後も、 金融緩和、土地担保融資、 企業の含み資産、 国内流動性という 相場の主要構造は維持されました。
日本株の回復によって、 市場には 日本固有の強さに対する自信が形成されました。
しかし、 この心理変化だけでは、 次のフェーズへ移行したとは判定しません。
フェーズ転換を確定させたのは、 1988年1月5日に打ち出された 大蔵省の政策措置です。
特金・ファントラの決算計上の弾力化と 生保の運用枠拡大によって、 株式市場へ流入する資金の主体と 運用構造が変化しました。
それまでの相場では、 金融緩和を起点として、 土地、信用、都市再開発、含み資産株へ 資金が広がっていました。
この制度変更以降、 市場は、 巨大な機関投資家資金が 株価を押し上げる段階へ移ります。
したがって、 1988年1月5日は、 平成バブル拡大相場の最終日であると同時に、 平成バブル爛熟相場を起動させた 制度的転換日です。
Phase End Signal
ブラックマンデー
↓
日本株の回復
↓
国内流動性への信頼
↓
「日本だけは違う」
↓
大蔵省による制度変更
↓
機関投資家資金の流入基盤
↓
平成バブル爛熟相場へ
本フェーズを終了させたのは、 ブラックマンデーという 価格ショックそのものではありません。
暴落後も国内のバブル構造が維持され、 さらに制度変更によって 大規模な機関投資家資金が 株式市場へ流入する基盤が整えられたことです。
これによって、 相場は土地・信用中心の拡大局面から、 機関投資家主導の爛熟局面へ移行しました。
このフェーズで変わったもの
| 構造領域 | 開始時 | 終了時 | レジーム上の意味 |
|---|---|---|---|
| 金融政策 | 円高不況への対応 | 低金利の長期化 | 景気対策から資産価格支援環境へ |
| 信用 | 銀行が新しい融資先を探索 | 土地担保融資が増幅回路を形成 | 地価上昇が新しい信用を生む |
| 土地 | 事業用・保有資産 | 信用創造と株価評価の中核 | 土地が金融装置になる |
| 都市 | 産業・生活空間 | 将来価値を先取りする投資対象 | 都市そのものが金融商品になる |
| 企業評価 | 利益・成長力中心 | 含み益・土地価値を重視 | 収益価値から資産価値へ拡張 |
| 市場参加者 | 金融機関・企業・専門投資家中心 | NTT上場で個人参加が拡大 | 株式市場の大衆化 |
| 市場心理 | 金融緩和相場への懐疑 | 日本市場の強さへの自信 | 懐疑から楽観への移行 |
| 制度 | 土地・信用中心の資金循環 | 機関投資家運用を拡張する制度変更 | 次レジームへの転換条件が成立 |
Regime Drivers
Liquidity
低金利政策によって生まれた国内資金が、 土地、株式、不動産、都市再開発へ流入しました。
Monetary Policy
円高不況への対応として金融緩和が継続され、 資産価格上昇を支える政策環境となりました。
Credit
土地価格上昇が担保価値を高め、 担保価値上昇が新しい融資を生む 信用増幅回路が形成されました。
Asset Inflation
地価上昇、含み益、Qレシオを通じて、 土地価格が株価評価へ変換されました。
Urban Development
東京湾岸の再開発期待が、 倉庫、建設、不動産、造船などの ウォーターフロント相場を形成しました。
Retail Participation
NTT上場によって個人投資家が拡大し、 株式市場が国民的な関心を集めました。
Global Stress
ルーブル合意、原油供給不安、 欧米金利上昇、ブラックマンデーが 国内レジームの耐久力を試しました。
Institutional Reform
1988年1月5日の制度変更が、 機関投資家主導の次フェーズへ移行する 決定的な条件となりました。
市場心理
円高不況とブラックマンデーによって 一時的に悲観が強まりましたが、 国内構造の維持によって後退しました。
土地と株価の上昇が続く一方、 市場にはその持続性への疑問が残っていました。
都市再開発、含み資産、NTT上場への期待が 市場全体へ広がりました。
ブラックマンデー後の回復と制度変更によって、 日本市場への自信が強まりました。
資産価格上昇が永続するという陶酔は、 次の平成バブル爛熟相場で全面化します。
ジョン・テンプルトンの市場心理に当てはめれば、 本フェーズは、 「懐疑の中で育つ」 段階です。
株価も土地価格も上昇していましたが、 市場には円高不況、金利上昇、 高い株価評価への警戒が残っていました。
ブラックマンデーは、 その懐疑を一時的に強めました。
しかし、 暴落後も日本市場の構造が維持されたことで、 懐疑は次第に自信へ変わります。
1988年1月5日の制度変更は、 その自信を 制度的な資金流入へ接続しました。
この時点で、 市場はまだ全面的な陶酔には達していません。
しかし、 「上昇は続く」という楽観が、 市場の中心へ移り始めていました。
MHDB Classification
Market Cycle
平成バブル形成・膨張サイクル
金融緩和、土地担保融資、 信用拡大、資産価格上昇が 相互に増幅する市場サイクル。
Market Phase
平成バブル拡大相場
金融緩和による資金が、 土地、都市再開発、含み資産株、 個人投資家へ広がり、 資産価格上昇の構造が形成されたフェーズ。
Machine Phase
Financial Easing
Liquidity Expansion
Credit Expansion
Urban Redevelopment
Asset Inflation
Retail Participation
Institutional Liquidity Transition
Human Phase
都市が金融商品になった
懐疑の中でバブルは育った
土地、都市、企業含み益が 株式市場の中心的な物語となり、 ブラックマンデー後には 日本市場の強さへの自信が形成された時代。
machine_phaseとhuman phaseの橋渡し
| 機械が観測する構造 | 人間が理解する相場史 |
|---|---|
| 政策金利低下・金融緩和継続 | 低金利資金が新しい行き先を探した |
| 銀行貸出・不動産向け信用の増加 | 土地が担保となり、さらに土地を買わせた |
| 不動産・建設・倉庫株の相対強度上昇 | 東京湾岸の未来価値が買われた |
| 資産株・高PBR銘柄の評価上昇 | 利益よりも土地の含み益が企業価値を決めた |
| 大型IPOと個人売買参加の増加 | NTT株が一般家庭を株式市場へ呼び込んだ |
| 世界株安後の日本株の回復 | 「日本だけは違う」という自信が生まれた |
| 制度変更と機関投資家運用余地の拡大 | 市場の主役が土地から巨大運用資金へ移り始めた |
machine_phaseは、 政策、信用、業種物色、資産評価、 参加者構造、制度変更を観測します。
human phaseは、 それらを 「都市が金融商品になり、 市場が日本固有の強さを信じ始めた時代」 として説明します。
次フェーズへの接続
ブラックマンデーは、 世界の株式市場に 重大な警告を与えました。
高い株価評価、 金利上昇、 政策協調の矛盾、 機械的売買によって、 世界市場は一日で崩壊する可能性があることを示しました。
しかし日本では、 その警告が バブルを直ちに終わらせませんでした。
金融緩和は継続し、 土地価格は高値を維持し、 銀行は信用供給を続け、 企業の含み益も市場評価を支えました。
日本株の回復によって、 市場参加者は 日本の資産価格上昇に対する自信を強めます。
そして1988年1月5日、 大蔵省が 特金・ファントラの決算計上の弾力化と 生保の運用枠拡大を軸とする対策を打ち出しました。
ここで、 相場を押し上げる構造は変わります。
土地、信用、都市開発によって 拡大してきたバブルは、 特金、ファントラ、生保などの 巨大な機関投資家資金が 市場を押し上げる段階へ移行します。
懐疑は後退し、 楽観が市場の中心へ移ります。
ここから始まるのが、 「平成バブル爛熟相場」 です。
平成バブル爛熟相場
制度変更を契機に、 特金、ファントラ、生保、財テク資金が 株式市場を押し上げ、 資産価格上昇が社会全体の価値観へ浸透したフェーズ。
テーマは、 「金が価値の尺度になった」 です。
まとめ
平成バブル拡大相場は、 単なる低金利相場ではありません。
1986年1月30日の公定歩合引き下げによって、 金融緩和は 実際の資金供給と資産価格上昇へ 接続し始めました。
銀行は新しい融資先を探し、 土地担保融資を拡大しました。
地価が上昇すると、 土地の担保価値が高まり、 企業や不動産事業者は さらに多くの資金を借りられるようになります。
その資金が新しい土地や株式へ流れ、 地価と株価をさらに押し上げました。
土地は、 値上がりする資産であるだけでなく、 新しい信用を生み出す金融装置になりました。
東京湾岸では、 倉庫、工場、造船所、埋立地が、 将来のオフィス、住宅、商業施設として評価されます。
ウォーターフロント相場では、 市場は完成した都市を買ったのではありません。
まだ存在していない未来の都市を、 現在の株価として買いました。
企業価値の基準も変わりました。
企業がどれだけ利益を上げるかだけでなく、 どこに、どれだけ土地を持っているかが 重要になりました。
Qレシオと含み資産という考え方は、 土地価格の上昇を 株価上昇へ変換しました。
NTT上場は、 株式市場へ新しい個人投資家を呼び込み、 株式投資を国民的な話題へ変えました。
一方、世界市場では、 為替政策の矛盾、 原油供給不安、 インフレ懸念、 欧米金利の上昇が進みました。
1987年10月19日、 その矛盾は ブラックマンデーとして表面化します。
しかし、 日本のバブルは終わりませんでした。
株価は急落しても、 金融緩和、土地、信用、含み益という 国内レジームは維持されました。
日本株の回復によって、 市場には 「日本だけは違う」 という自信が形成されます。
そして1988年1月5日、 大蔵省による 特金・ファントラ対策と生保運用枠拡大によって、 市場を押し上げる資金構造が変化しました。
Market History DBでは、 金融緩和が土地、信用、都市再開発へ接続した 1986年1月30日から、 機関投資家主導の新しい資金循環を起動させる 制度変更が打ち出された 1988年1月5日までを、 「平成バブル拡大相場」と位置付けます。
このフェーズで、 都市は生活空間から 金融商品へ変わりました。
土地は、 保有資産から 信用を生み出す装置へ変わりました。
企業価値は、 利益中心から 含み資産中心へ拡張されました。
そして、 懐疑の中で成長したバブルは、 制度変更によって 楽観と爛熟の段階へ移行します。
金融緩和が土地を押し上げ、
土地が信用を生み、
信用が都市を金融商品へ変えた。
そして制度が、
拡大するバブルを 爛熟するバブルへ変えた。
参考資料
- 永野健二『バブル――日本迷走の原点』 (土地バブル、土地担保融資、Qレシオ、NTT上場、特金・ファントラ政策に関する資料)
- 千葉明『男が勝負するとき』 (ウォーターフロント相場、ブラックマンデーに関する資料)
- Market History DB「NTT上場」
- Market History DB「ルーブル合意」
- Market History DB「イラン・イラク戦争(タンカー戦争)」
- Market History DB「ブラック・マンデー1987」
- 日本銀行金融政策関連資料
- 大蔵省・金融行政関連資料
- NTTグループ株式関連資料
本記事におけるフェーズ名称、開始日、終了日、 レジーム解釈はMarket History DB独自の分類です。
本記事では、 ブラックマンデーを価格ショック、 1988年1月5日の制度変更を フェーズ転換条件として区別しています。
添付書籍資料の内容は、 記事構成に合わせて要約・再整理しており、 原文の長文引用は行っていません。
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